

え、天皇?
まさか天皇家の一人が怨霊になってるの……?
まさか天皇家の一人が怨霊になってるの……?

そうだよ。
そこそこ有名な話だから知っている人も多いし、歴史が好きな人からしたら一般常識ぐらいの話だけどね。
そこそこ有名な話だから知っている人も多いし、歴史が好きな人からしたら一般常識ぐらいの話だけどね。

でも何でそんな事に?

んー。詳しくは後で紹介するとして、一言で簡単に言うなら
「政治戦略にハメられて天皇を退位させられた。」
「怒って戦(いくさ)を起こしたけど負けた。」
「反省して仏教に目覚めて写経を送ったけど突っぱねられた。」
そして、ブチギレて血文字で呪いの言葉を書いて死んだって感じかな。
「政治戦略にハメられて天皇を退位させられた。」
「怒って戦(いくさ)を起こしたけど負けた。」
「反省して仏教に目覚めて写経を送ったけど突っぱねられた。」
そして、ブチギレて血文字で呪いの言葉を書いて死んだって感じかな。

ぜんぜん一言じゃないじゃん……。

流石に一言で紹介するのは無理でした……。

それじゃ順を追って紹介していきまっす!
崇徳天皇を取り巻く複雑な事情

それじゃ改めて、今回紹介する怨霊となった天皇は「崇徳天皇」。
崇徳天皇は大分変った事情で生まれてきた人物なので、まずは今回の話を理解するために当時の天皇家の家系から紹介していくね。
崇徳天皇は大分変った事情で生まれてきた人物なので、まずは今回の話を理解するために当時の天皇家の家系から紹介していくね。

えー……。
もっとこう、ホラー要素的なところだけでいいんだけど……。
もっとこう、ホラー要素的なところだけでいいんだけど……。

今回の話は人間関係を判ってないと、なんで怨霊になったか理解できなくなっちゃうから頑張って……。

というか、そもそも、その天皇って何て読むの?。

あ、崇徳天皇は「“すとく”天皇」と読みます。

あと今回紹介する話に登場する人物で覚えておいて欲しい人物は
第72代天皇:白河天皇(法皇)
第74代天皇:鳥羽天皇(上皇)
第75代天皇:崇徳天皇
第76代天皇:近衛天皇
第77代天皇:後白河天皇
の五名。
第72代天皇:白河天皇(法皇)
第74代天皇:鳥羽天皇(上皇)
第75代天皇:崇徳天皇
第76代天皇:近衛天皇
第77代天皇:後白河天皇
の五名。

ん?天皇と法皇と上皇って何が違うの?

ああ、天皇の座を譲ったら位の呼び方が変わるんだよ。
天皇=現役の天皇
上皇=先代の天皇
法皇=出家した天皇(上皇)
って感じ。
天皇=現役の天皇
上皇=先代の天皇
法皇=出家した天皇(上皇)
って感じ。

ふーん

一般常識だけどね……。

う……。

あと、さっきの五名の天皇を家系図にするとこんな感じだね。


ああ、これだとなんとなく分かりやすい。

そして怨霊になった崇徳天皇は、この家系図だと「鳥羽天皇」と「藤原璋子」の子供って事になっているけど、本当は「白河天皇」と「藤原璋子」の子供だったと言われているんだ。

え……どういう事……?

鳥羽天皇からしたら、自分のお爺ちゃんに奥さんを妊娠させられちゃった感じ……?

げっ……。

だから本当の家系図的にはこんな感じだね。

そして、白河天皇からすれば崇徳天皇は自分の子供だからだいぶ贔屓していてね、白河天皇の働きかけによって崇徳天皇は3歳という若さで天皇に即位したんだよ。

え、なにそれ。凄くない?
そんなことができるの?
そんなことができるの?

それだけ影響力があったんだろうね。

一方、この頃の鳥羽上皇は20代の現役バリバリだったのに、政権の実権は白河天皇が握っているし、3歳の子供に天皇の座は奪われるしで、かなり肩身の狭い思いをしていたんだ。

うわぁ……。

そしてこの頃から鳥羽上皇は崇徳天皇や藤原璋子を毛嫌いしはじめるんだ。

まぁそりゃそうでしょうねぇ……。

ただ、このパワーバランスは白河法皇が死亡したことによって激変します!
白河法皇が崩御した事で実権を手に入れた鳥羽上皇

かなり辛い青年期を過ごした鳥羽上皇だけど、1129年に白河法皇が崩御した事で白河法皇が取り仕切っていた政権のほとんどを鳥羽上皇が引き継ぐことになるんだ。

その結果、天皇家のパワーバランスが一変するんだけど、もともと崇徳天皇は白河法皇の後ろ盾があって成り立っていたからかなり窮地に追いやられる事になる。

ふんふん。

そして1139年に鳥羽上皇と藤原得子の間に男の子が生まれて、この男の子が将来は近衛天皇となるんだけど、鳥羽上皇は崇徳天皇から天皇の座を奪うために策略を仕掛けるんだ……。

策略?

まぁ簡単にいうと崇徳天皇を騙して本当の自分の子供である近衛天皇を即位させようとしたんだよ。
皇太子のはずが皇太弟に!?騙されて政権を失った崇徳天皇

この頃、崇徳天皇にも重仁親王と呼ばれる子供が生まれていたんだけど、そこに目を付けた鳥羽上皇は崇徳天皇に重仁親王に天皇の座を譲るように働きかけるんだ。

ん?それって崇徳天皇からして何かメリットあんの?

当時は上皇が院政(政治)を行う事になっていたから、崇徳天皇が重仁親王に天皇の座を譲り、上皇になる事で崇徳天皇が政治の実権を握れるようになるって感じかな。

あ、そうなんだ。

そして崇徳天皇はその話に乗って、皇太子に天皇の座を譲るため手続きをはじめるんだけど、鳥羽上皇の策略により皇太子ではなく皇太弟に天皇を譲る事になってしまうんだ。

ん……?
ちょっとまって、どういうこと?
ちょっとまって、どういうこと?

皇太子っていうのは自分の子供。
つまり崇徳天皇からして重仁親王の事。
つまり崇徳天皇からして重仁親王の事。

うん。

でも皇太弟は文字の通り崇徳天皇の弟に天皇の位を譲るということになるんだ。
つまり、この場合だと鳥羽天皇の実子である近衛天皇だね。
つまり、この場合だと鳥羽天皇の実子である近衛天皇だね。

うわぁ……。

そして政治は天皇の父親である上皇が行うことになっているから、近衛天皇が即位すれば父親である鳥羽上皇が政治を行うことになる。
つまり崇徳天皇から天皇の地位だけをキレイさっぱり奪い取った形になるんだよ。
つまり崇徳天皇から天皇の地位だけをキレイさっぱり奪い取った形になるんだよ。

まるで手品を見ているようね……。
ついにキレた崇徳天皇!地位をめぐって戦が勃発

近衛天皇に地位を奪われた崇徳上皇は失意の毎日を送っていたんだけど、再び返り咲くチャンスが訪れます!

お?

実は近衛天皇が若くして病死してしまうんだ。

おー。
という事は自分の息子を天皇にするチャンス?
という事は自分の息子を天皇にするチャンス?

そそ。
崇徳上皇は当然、自分の息子である重仁親王を天皇に就かせようと働きかけるんだけど、鳥羽上皇はその策略に気付いて
「近衛天皇が死んだのは崇徳上皇の呪いが原因である」
と悪質な噂を流したんだ。

えぇ~……。

その結果、重仁親王は天皇になる事ができず、結果的に後白河天皇が即位する事になるんだ。

ん?
でもさっきの家系図だと後白河天皇って藤原璋子の子供なのよね。
それでもいいの?
でもさっきの家系図だと後白河天皇って藤原璋子の子供なのよね。
それでもいいの?

まぁ“崇徳上皇の息子に天皇を譲るより大分マシ”って感じかな……。

……。

そして最終的には崇徳上皇派と後白河天皇派の戦が勃発。
この戦が余に言う「保元の乱」だね。
この戦が余に言う「保元の乱」だね。

ほうほう。

この辺を詳しく紹介してると歴史の授業になっちゃうから省くけど、結果的には崇徳上皇側があっさりと負けて崇徳上皇は流刑にされてしまうんだ。

なんか不幸の連続ね……。
流刑になった崇徳上皇

崇徳天皇は戦に敗れたあとは讃岐に流されてしまうんだけど、この時点では政権に返り咲くことは諦めて、仏教を心の支えとして平穏に生きることを選ぶんだ。

ふんふん。

そして自分が起こした戦の戦死者の供養と自分の犯した罪を償うために五部大乗経を3年がかりで写経して後白河天皇に送る事にしたんだよ。

五部大乗経?

五部大乗経っていうのは簡単にいうと当時主流だった5つのお経だね。
ちなみに「華厳経」「大集経」「般若経」「法華経」「涅槃経」の5種類。
ちなみに「華厳経」「大集経」「般若経」「法華経」「涅槃経」の5種類。

へー。

ただ、後白河天皇は送られてきたお経の受け取りを拒否してしまいます!

え、3年もかかった大作を……?
なんで……?
なんで……?

実は後白河天皇はお経の中に呪いや呪詛が混じっていると考えたんだよ。

ああ、そういえば近衛天皇の時も崇徳上皇が呪い殺した事になってたもんね。

そして送り返されてきたお経をみて、心穏やかだった崇徳上皇は遂に本気でブチ切れます!
魔王になると誓った崇徳上皇

政権に返り咲くことは諦めて、仏教の教えにしたがって静かに暮らしていた崇徳上皇。
そんな崇徳上皇の元に舞い戻ってきた3年の月日をかけて書いた写経。
そんな崇徳上皇の元に舞い戻ってきた3年の月日をかけて書いた写経。

この時、遂に崇徳天皇はブチ切れて自分の舌を噛み切って自分の血を使って写経の最後に
「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」
「この経を魔道に回向す」
と書き込んだんだ。
「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」
「この経を魔道に回向す」
と書き込んだんだ。

んー。なんかブチ切れてるのなんとなくわかるけど、どういう意味?

「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」
は簡単にいうと
「日本の魔王になって、天皇を平民にして平民を天皇にしてやる」
って意味だね。
「この経を魔道に回向す」
は
「この写経を魔道に捧げる」
って感じ。
は簡単にいうと
「日本の魔王になって、天皇を平民にして平民を天皇にしてやる」
って意味だね。
「この経を魔道に回向す」
は
「この写経を魔道に捧げる」
って感じ。

つまり、自分自身も写経もすべて魔王捧げて復讐してやる!って感じだね。

その後の崇徳上皇は髪も爪も一切切ることなく、心だけじゃなく見た目も魔王や天狗のようになっていったと言われているんだ。

うわぁ……。
ヤバイぐらいのキレっぷりね……。
ヤバイぐらいのキレっぷりね……。

そして崇徳上皇の死後、お経に書いた血文字の内容が現実に起こり始めるんだよ。
不幸続きの天皇家。理由は当然崇徳上皇の呪い……?

崇徳上皇が最強の怨霊と言われるようになったのは1176年以降。
この時点では既に崇徳上皇は崩御していたんだけど、まるで呪いにかかっているかのように天皇家に災いが振りかかり続けるんだ。
この時点では既に崇徳上皇は崩御していたんだけど、まるで呪いにかかっているかのように天皇家に災いが振りかかり続けるんだ。

お?

実はこの頃から後白河天皇(当時は後白河院)の親しい人や摂政を任されていた人物などが次々に亡くなり始めて、翌年の1177年には延暦寺の僧兵による強訴が起こり、安元の大火災で平安京の約半分が燃え、平家打倒の陰謀事件である鹿ケ谷の陰謀も勃発。

とにかく立て続けに訳が分からないぐらい不幸事が続くようになるんだよ。

すんごいわね……。

そしてこの頃から崇徳上皇の怨霊説や呪い説が流れ始めるんだけど、度重なる不幸で精神的に追い詰められた後白河院は崇徳上皇の怨霊を鎮めるため、罪人扱いを解きて供養する事にするんだ。

すると不幸は収まったとか?

いや、割とそうでもない。
この事件以降は武家が政治の中心となって、天皇の権力は地に落ちてしまうんだ。
この事件以降は武家が政治の中心となって、天皇の権力は地に落ちてしまうんだ。

え、それってつまり……。

そう。
崇徳上皇が血文字で書いた「皇を取って民とし民を皇となさん」が実現してしまうんだよ。
崇徳上皇が血文字で書いた「皇を取って民とし民を皇となさん」が実現してしまうんだよ。
まとめ

以上が怨霊となった崇徳天皇についてでした。
どうだった?
どうだった?

話が長い。

それ以外の感想でおねがいしまス……。

んー。
でも大怨霊って言われているほど悪い事はしてない気がするわね。
でも大怨霊って言われているほど悪い事はしてない気がするわね。

3歳で天皇に祭り上げられて、騙されて天皇の位を奪われて、その上策略で自分の子供を天皇にできず、戦で負けたから反省して写経してたら突っ返されて。
結局悪いのって鳥羽天皇と後白河天皇なんじゃないの?
結局悪いのって鳥羽天皇と後白河天皇なんじゃないの?

まぁそうだろうね。
でも、だからこそ納得がいかなくて怨霊になったんじゃないかな。
でも、だからこそ納得がいかなくて怨霊になったんじゃないかな。

あー……。なるほどねー……。

とりあえず、話が長くて疲れたから今日はこの辺で。

マキエは聞いてただけジャン!
それも日本三大怨霊の一人「崇徳天皇」について紹介していきたいと思いまっす!