ん?アメリカに皇帝?
アメリカって大統領じゃないの?
アメリカって大統領じゃないの?
と、思うでしょ?
実はアメリカにも皇帝が存在したんだよ。
実はアメリカにも皇帝が存在したんだよ。
いやいや、ちょっとまちなさいよ。
皇帝ってそもそも帝国の王様って意味でしょ?
アメリカみたいに合衆国に皇帝がいるわけ無いじゃん。
皇帝ってそもそも帝国の王様って意味でしょ?
アメリカみたいに合衆国に皇帝がいるわけ無いじゃん。
と言われてもなぁ……。
だって実際にいたんだから仕方ないじゃん。
えぇぇ……?
それじゃさっそく紹介していきまっす!
アメリカ合衆国の初代皇帝「ジョシュア・ノートン1世」
まずはアメリカの初代皇帝について紹介していくね。
アメリカに初代皇帝が誕生したのは1859年9月17日で、その初代皇帝の名前は冒頭でも紹介したけど「ジョシュア・ノートン1世(Joshua Abraham Norton)」。
アメリカに初代皇帝が誕生したのは1859年9月17日で、その初代皇帝の名前は冒頭でも紹介したけど「ジョシュア・ノートン1世(Joshua Abraham Norton)」。
聞いた事無いんだけど……。
実はノートン皇帝は自分で合衆国皇帝を名乗り出て自分で皇帝になった人物なんだ。
は……?
ノートンは1859年9月17日に各新聞社に手紙を送ったり直接出向いて
「私はアメリカ合衆国の皇帝として君臨する」
と宣言したんだよ。
「私はアメリカ合衆国の皇帝として君臨する」
と宣言したんだよ。
ちなみに正式な文面としてはこんな感じ
皇帝宣言
合衆国市民の大多数の熱望により、余――ジョシュア・ノートンは合衆国皇帝たることを宣言する。余は皇帝の権限によって、来年2月の第1日に、各州の代表者 が、この市の音楽堂に参集することを命ずる。その集会において、余はこの国の従来の悪法を改め、国家の安泰と繁栄を達成せんとするものである。1859年9月17日
合衆国皇帝にしてメキシコの擁護者であるノートン1世
はぁ……。
で?
「で?」って言われても困るんだけどノートンから連絡をうけた新聞社は面白がって本当に「ジョシュア・ノートン1世が皇帝に即位」っていう内容の記事を新聞に載せちゃったんだ。
ああ、そういうギャグストーリーか。
いやそこまでギャグじゃない。
本来なら「変な人がおかしな事を言ってる」って事になるはずだったんだけど、何故かノートンはサンフランシスコ市民に壮大な人気が出て本当に皇帝のような扱いをされるようになっていくんだよ。
本来なら「変な人がおかしな事を言ってる」って事になるはずだったんだけど、何故かノートンはサンフランシスコ市民に壮大な人気が出て本当に皇帝のような扱いをされるようになっていくんだよ。
えぇぇ……?
ノートン皇帝が誕生した秘話
というか、そのノートンって何者なの?
いきなり新聞社に飛び込んで「自分は皇帝だー」なんて正気とは思えないんだけど。
コメディアンか何か?
いきなり新聞社に飛び込んで「自分は皇帝だー」なんて正気とは思えないんだけど。
コメディアンか何か?
んー……。
一部では精神病患者って言われていたりします……。
一部では精神病患者って言われていたりします……。
はい……?
実はノートンはイギリス生まれのイングランド人で大金持ちの息子だったんだ。
ほう。
そしてノートン自身は1849年にアメリカのサンフランシスコに移住してきたんだけど、その時は成功した実業家として贅沢な暮らしをしていたらしい。
ただ、お米の先物取引というか投機に失敗して全ての財産を失い破産してしまったんだ。
おおう……。
その時にうつ病や精神病が発症したといわれていて、サンフランシスコの自宅を売り払った後は行方不明になっていたんだよ。
そして次にサンフランシスコに現れたのが新聞社に勅令を出した1859年9月17日。
いきなり自分は皇帝だと名乗り、そしてそのまま皇帝の座に就くことになるんだ。
いきなり自分は皇帝だと名乗り、そしてそのまま皇帝の座に就くことになるんだ。
なんか壮絶な人生ね……。
ちなみに当時のアメリカは当時南北戦争が起こったりもしたけれど、当時の大統領であるエイブラハム・リンカーンや戦争相手である南軍を率いた「ジェファーソン・デイヴィス」と手紙のやり取りもしているんだよ。
まじで……。
あとはちょくちょく、勅令を出すんだけどサンフランシスコ市の援助の元で本当に実現されていったらしい。
へぇ、勅令ってどんな?
ノートン皇帝が出した勅令
ノートンは勅令を出すときに新聞社にお願いして新聞に勅令を乗せてもらっていたんだけど、最初のうちは「皇帝が生まれた以上は皇帝が親政を行うべきだ」っていうことで議会制度を廃止にしようとしたり、議会制度廃止に従わなかった議員たちを逮捕しようとしたんだけど、それはさすがに実現しなかった。
そりゃそうよね。
でも他の勅令は意外と庶民的な内容が多くて、かなりの指示を集めたらしい。
へぇ、どんな?
例えば
・街路には街灯の設置する事
・クリスマスには街路樹に飾り付けを行い祝う事
・サンフランシスコを「フリスコ」と略称で呼んだら25ドルの罰金を課せる
・ゴート・アイランドとオークランドに吊り橋を作り、街を発展させよ
などなど。
・街路には街灯の設置する事
・クリスマスには街路樹に飾り付けを行い祝う事
・サンフランシスコを「フリスコ」と略称で呼んだら25ドルの罰金を課せる
・ゴート・アイランドとオークランドに吊り橋を作り、街を発展させよ
などなど。
へー。なんか面白いわね。
特にゴート・アイランドとオークランドの吊り橋の件についてはノートンの発言が影響したかどうかは置いといて、本当に「サンフランシスコ-オークランド・ベイブリッジ」っていう橋が作られたりもしたんだ。
でも偶然でしょ?
偶然といえば偶然だけど、先遣の目はあるってことじゃないかな。
まぁそんな市民が望んでいるような事を勅令に出して実際に実現するもんだから市民としても非常にありがたい存在でもあったみたい。
そのせいか市民の人気も非常に高くて実際にレストランや交通費は無料になってたらしいよ。
そのせいか市民の人気も非常に高くて実際にレストランや交通費は無料になってたらしいよ。
まじで。
そんなに優遇されはじめたの?
そんなに優遇されはじめたの?
ノートン皇帝の伝説の数々
ノートンはアメリカ皇帝になったといっても無一文であることには違いなくて、ノートンが住んでいたのは古いレンガ作りのワンルームのアパートで、そこに臣下である2匹の犬と一緒に暮らしていたらしい。
あら、意外と慎ましい生活を送ってたのね。
そしてさっきも言ったけど、サンフランシスコの人々からは壮絶な支持があってレストランの食事代や宿代、交通費などすべては無料にしてもらっていたらしい。
ちなみに浮浪者と間違われて浮浪罪で逮捕されたり、精神病の疑いがあるとして警察が拘束したこともあったらしいんだけど、そのたびにサンフランシスコ市民が大激怒して暴動が起こりかねない事態になったこともあったんだ。
その人気に驚いた警察はノートンを釈放したあと正式に謝罪。
それ以降、警察はノートンと会った時は敬礼するようになったらしいよ。
それ以降、警察はノートンと会った時は敬礼するようになったらしいよ。
ほんと、その人気はどこから来てるのカシラ……。
一種のお祭りみたいなものなのかなぁ。
ちなみにノートンはあまりにもお金が無くなった時に国債を発行したんだけど、印刷会社は無料で国債を発行してサンフランシスコ市民はこの国債を喜んで購入したんだって。
え、それって偽造じゃないの?
前に紹介した「実在した零円札」の記事でそんな事言ってなかった?
前に紹介した「実在した零円札」の記事でそんな事言ってなかった?
これはそもそも一般人が印刷した紙で「紙幣じゃない」から大丈夫なんだって。
ちなみに今ではかなりのプレミア物らしいよ。
ちなみに今ではかなりのプレミア物らしいよ。
マジで……。
あとノートンは普段は陸軍将校からもらった礼服を着ていたんだけど、「軍服が汚くなってきたから新しい礼服が欲しい」と言うと市議会は市の予算にノートンの礼服を計上したんだって。
ノートン皇帝の崩御
そしてノートン皇帝が崩御されたのは1880年1月8日。
科学アカデミーでの講演に向かう途上に倒れ、病院に向かう馬車の中で命を引き取ることとなります。
科学アカデミーでの講演に向かう途上に倒れ、病院に向かう馬車の中で命を引き取ることとなります。
そして盛大な葬儀が行われたんだけど、ノートンが皇帝に君臨してから20年もの年月が経っているのにも関わらず、葬儀には3万人が列席し2日間にわたり葬儀が行われたんだって。
20年も君臨してたんだ……。
すぐに飽きられそうなのに、本当に人気があったのね。
すぐに飽きられそうなのに、本当に人気があったのね。
ちなみに当時のノートンの全財産は千円程度で葬式代もサンフランシスコ市民による寄付で行われたんだって。
ちなみにノートンのお墓は今はカリフォルニア州コルマのウッドローン墓地にあって墓石には
「ノートン1世、合衆国皇帝、メキシコの庇護者」
って刻まれてます。
「ノートン1世、合衆国皇帝、メキシコの庇護者」
って刻まれてます。
これがそのお墓の写真。
そしてニューヨークタイムズはノートンの死を受けて
「彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。彼と同じ称号を持つ人物で、この点で彼に立ち勝る者は1人もいない」
と締めくくったんだ。
「彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。彼と同じ称号を持つ人物で、この点で彼に立ち勝る者は1人もいない」
と締めくくったんだ。
最後までブレない凄い人だったのね。
まとめ
以上がアメリカの伝説の皇帝「ジョシュア・ノートン」についてでした。
どうだった
どうだった
滅茶苦茶いい話ね。
特に最後の「彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。彼と同じ称号を持つ人物で、この点で彼に立ち勝る者は1人もいない」ってあたりで少し目頭が熱くなっちゃったわ。
特に最後の「彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。彼と同じ称号を持つ人物で、この点で彼に立ち勝る者は1人もいない」ってあたりで少し目頭が熱くなっちゃったわ。
でも、世の中って何がどう転ぶかわからないわね。
最初から無理だと思っても実際にやってみたらうまくいく事も多いのかもね。
最初から無理だと思っても実際にやってみたらうまくいく事も多いのかもね。
そういった意味でも勇気づけられる話ではあるよね。
今度、宝くじでも買ってみようかしら。
何かが起きるかもしれない。
何かが起きるかもしれない。
最後の最後に話の次元を落とさないで……。
それもアメリカの初代皇帝「ジョシュア・ノートン」について紹介したいと思いまっす!