あー、昔にテレビで名前だけ聞いたことがあるわね。
なんか幽霊がたくさんでる建物なんでしょ?
なんか幽霊がたくさんでる建物なんでしょ?
そうそう、それそれ。
目撃例があまりにも多いから日本でも有名となって、一昔前にはよくテレビとかで取り上げられていたから知っている人も多いかもね。
目撃例があまりにも多いから日本でも有名となって、一昔前にはよくテレビとかで取り上げられていたから知っている人も多いかもね。
当時はあんまり気にしてなかったけど、そんなに沢山の目撃例があったの?
んー。建築から崩壊するまでの80年間で1000回以上の幽霊の目撃例やポルターガイストが起こってるらしい。
え、そんなに出てんの……?
しかも登場する幽霊は修道女の霊だったり男の霊だったり馬車の霊だったり、かなりバラエティーに富んでいたりします。
なんか幽霊の巣窟みたいなイメージになってきた……。
それじゃさっそく紹介していきまっす!
イギリスを代表する幽霊屋敷「ボーリー牧師館」
それじゃ、まずはボーリー牧師館の歴史から簡単に紹介していくね。
このボーリー牧師館はイギリスのサフォーク州という所にある牧師館で1862年に建築された建物なんだ。
このボーリー牧師館はイギリスのサフォーク州という所にある牧師館で1862年に建築された建物なんだ。
そのまえに、牧師館って何?
なんかキリスト教の牧師が展示されてそうな名前の建物だけど。
なんかキリスト教の牧師が展示されてそうな名前の建物だけど。
どんなイメージだよ……。
牧師館っていうのは名前の通り牧師が住むための住宅みたいなものだよ……。
牧師館っていうのは名前の通り牧師が住むための住宅みたいなものだよ……。
ちなみにこのボーリー牧師館はサフォーク州を教区とするボーリー教会に勤める牧師のために作られた建物だね。
ああ、ボーリーって教会の名前だったんだ。
てっきりボーリー牧師っていう人がいて、その人の館だからボーリー牧師館って言うのかと思ってたわ。
てっきりボーリー牧師っていう人がいて、その人の館だからボーリー牧師館って言うのかと思ってたわ。
確かにボーリー教会はあんまり有名じゃないからマキエみたいな勘違いをしている人も結構いるみたいだよ。
ちなみにこのボーリー牧師館は1862年に赴任してきたヘンリー・ブル司祭のために作られた建物なんだ。
え、赴任してきただけで一軒家が建ててもらえるの……?
司祭ってそんなに偉いの……?
司祭ってそんなに偉いの……?
んー、当時の価値観というか世界観についてはあまり分からないけど、ヘンリー・ブル司祭には17人もの家族がいたから仕方なかったんじゃないかな。
17人……。
今のご時世じゃあんまり考えられない家族構成ね……。
今のご時世じゃあんまり考えられない家族構成ね……。
あと建築って言ったけど、元からあった古い屋敷を立て直しただけだから、正確には改築だね。
ふーん。
まぁその辺はおいといて、ヘンリー・ブル司祭が赴任した翌年に35個の部屋をもつレンガ造りの立派な館が完成するんだ。
そして当然、ヘンリー・ブル一家はその牧師館に住むようになるわけだけど、移り住んでまもなく様々な怪奇現象に悩まされるようになるんだ……。
ブル一家を悩ませる数々の心霊現象
ヘンリー・ブル司祭が引っ越して一番最初に起こった怪奇現象は教会の鐘が全て一斉に鳴るという物。
ボーリー教会には全部で18個の鐘が備え付けられていたんだけど、その鐘が突然一斉に鳴り始めたんだ。
ボーリー教会には全部で18個の鐘が備え付けられていたんだけど、その鐘が突然一斉に鳴り始めたんだ。
強風で煽られたとかじゃなくて?
だったらいいんだけど、他にも直立不動のまま滑るように移動する修道女の霊や睨みつけてくる男性の霊、さらに下半身だけで歩き回る霊など数々の幽霊が現れ始めるんだ……。
う……。
更に幽霊だけじゃなく、誰もいない部屋から足音が聞こえてきたり、設置されていたオルガンが勝手に鳴り始めたり、テーブルの上に置いてあったカップが勝手に割れたりとポルターガイスト現象も頻繁に起こり始めるんだよ……。
うわぁ……。
しかも、この怪奇現象を目撃したのはヘンリー・ブル司祭の家族だけじゃなく、客として泊りに来た人達も目撃していて
「眠っていたら金縛りにあって、気が付いたら女性の修道女に睨まれていた。」
とか
「牧師館の前を歩いていたら2匹の馬が引く4輪馬車に轢かれそうになった。信じられ無い事にその馬車はそのまま森に消えていった。」
という目撃証言もあったりするんだ。
「眠っていたら金縛りにあって、気が付いたら女性の修道女に睨まれていた。」
とか
「牧師館の前を歩いていたら2匹の馬が引く4輪馬車に轢かれそうになった。信じられ無い事にその馬車はそのまま森に消えていった。」
という目撃証言もあったりするんだ。
あと、幽霊とは関係ないのかもしれないけど実はヘンリー・ブル司祭は猫を飼っていいたんだけど、その猫が立て続けに謎の死を遂げてしまうという事件も発生。
しかも、その数なんと36匹。わざわざ猫用のお墓を作らないといけなくなるほど大勢の猫が亡くなったらしいよ。
しかも、その数なんと36匹。わざわざ猫用のお墓を作らないといけなくなるほど大勢の猫が亡くなったらしいよ。
いやいやいや、多すぎでしょ!
せめて4,5匹目ぐらいで飼う事自体を諦めなさいよ!
せめて4,5匹目ぐらいで飼う事自体を諦めなさいよ!
修道女の霊の名前は「マリー・レール」?彼女が遂げた非業の死とは
数々の幽霊が目撃されているボーリー牧師館だけど、とくに一番目撃例が多かったのは白衣の修道女の幽霊。
そして実はその修道女の幽霊の身元は判明していたりもします。
そして実はその修道女の幽霊の身元は判明していたりもします。
え、マジで。
その幽霊の修道女の名前は「マリー・レール」。
そして話は12世紀頃まで遡るんだけど、実はボーリー牧師館が建っている土地にはかつては別の修道院が立っていた土地だったんだ。
そして話は12世紀頃まで遡るんだけど、実はボーリー牧師館が建っている土地にはかつては別の修道院が立っていた土地だったんだ。
ふんふん。
その修道院は1362年にベネディクト派の人たちによって建てられた修道院で、そこで生活をしていた修道士が10㎞ほど南にあったビュアーズ女子修道院という所にいた修道女と恋に落ちたんだ。
その修道女ってのがマリー・レールって訳?
そそ。
そして二人は戒律を破って駆け落ちを決め込み、馬車を雇って2人で逃げ出す計画をたてる。
そして二人は戒律を破って駆け落ちを決め込み、馬車を雇って2人で逃げ出す計画をたてる。
ほう。
ただ、馬車を雇った時点でその計画は先輩たちに漏れていて、二人が合流した時に先輩たちに取り押さえられてしまうんだ……。
あらら……。
そして修道士は見せしめとして吊るされて命を落とし、マリーは生きたまま地下室の壁に塗り込められてしまったんだ……。
え、グロ過ぎない……?
ちなみに駆け落ちを手引きした馬車の御者まで首を落として処刑されるという徹底っぷり……。
つまり、ボーリー牧師館に現れる男と女の幽霊はこの二人で、その修道女ってのがマリー・レールって事か。
そういう事だね。
そして馬車については駆け落ちを請け負った御者の霊なんだろうね。
そして馬車については駆け落ちを請け負った御者の霊なんだろうね。
駆け落ちを決め込んだ二人はともかく、馬車の御者さんはとんだ貧乏くじね……。
予言と共に焼け落ちたボーリー牧師館
数々の心霊現象が起こり続けたボーリー牧師館だけど、ヘンリー・ブル司祭達は司祭という立場もあって離れるわけにもいかず、その後も心霊現象に耐えながら生活していたんだ。
なかなか肝の座った一家ね……。
そして1892年にヘンリー・ブル司祭が死去。
その後は息子であるヘンリー・ブルが屋敷を引き継ぐ事になったんだ。
その後は息子であるヘンリー・ブルが屋敷を引き継ぐ事になったんだ。
両方ともヘンリー・ブルってなってるわよ……。
いや、実は合ってるんだよ……。
父親と息子が同じ名前なんだ……。
父親と息子が同じ名前なんだ……。
ええ……。紛らわしくない……?
まぁ父親と区別するため、息子のヘンリー・ブルはハリー・ブルって呼ばれていたらしいけどね。
そしてハリー・ブルは1892年から1927年まで引き続きボーリー牧師館に住み続けたんだけど、その後も同じような心霊現象が続出。
その後、1928年にエリック・スミスという司祭に引き継がれる事となるんだけど、事前にボーリー牧師館の異変を聞いていて覚悟を決めてやってきたのにも関わらず、あまりにも多発する心霊現象によってエリック・スミス司祭はノイローゼ気味になってしまう。
まぁそれは仕方ない気がするなぁ……。
そこでエリック・スミス司祭はこの問題を解決しようとイギリス心霊研究所の創設者である「ハリー・プライス」に調査を依頼するんだ。
ふんふん。
そしてこの頃にはボーリー牧師館は幽霊屋敷としてイギリス中で有名になっていた事もあってプライスは依頼を快諾。
当時では最新の機材や大規模な調査チームを結成して調査を開始したんだよ。
当時では最新の機材や大規模な調査チームを結成して調査を開始したんだよ。
そして幽霊たちは当然のように出現し続けたので、プライスは数々の報告書を書き上げるんだけど、その中でも特に成果をあげた調査が霊媒師のグランヴィルっていう人を呼んだ降霊術とブランシェットを使った降霊術。
霊媒師のグランヴィルは修道女の霊と交信する事に成功して、さっき紹介した駆け落ちの話やマリー・レールっていう名前を聞き出す事に成功したんだ。
ああ、さっきの話は霊媒師が修道女の霊に直接聞いた話だったんだ。
そうだね。
ちなみに修道院が建っていたっていうのはちゃんとした記録が残っていたみたいだよ。
ちなみに修道院が建っていたっていうのはちゃんとした記録が残っていたみたいだよ。
ふーん。
ところで、もう一つの“ブランシェット”って何?
ところで、もう一つの“ブランシェット”って何?
ブランシェットっていうのは車輪が付いた筆記用具で、降霊すると勝手に文字を書き始めるという、簡単にいうと西洋のこっくりさんってとこかな。
ちなみにブランシェットを使った時は
「近々、ボーリー牧師館は炎に包まれる」
と予言のような文字が書き出されたそうだよ……。
「近々、ボーリー牧師館は炎に包まれる」
と予言のような文字が書き出されたそうだよ……。
え、ダメじゃん……。
そして大きな事件が起きたのが1939年の2月。予言が的中してボーリー牧師館では原因不明の火事が発生。
さらに大勢の人が消火活動に当たったんだけど、その時に2階の窓辺に少女が立っていたっていう目撃証言が相次いだりもしています。
さらに大勢の人が消火活動に当たったんだけど、その時に2階の窓辺に少女が立っていたっていう目撃証言が相次いだりもしています。
少女……?
え、今さら新キャラ……?
え、今さら新キャラ……?
新キャラっていうな……。
で、火事あって以降は住む人が徐々にいなくなり、最終的に1944年には解体されて撤去されてしまうんだ。
やっと平和になるわね。
いや、撤去されて平地になった後も修道女の幽霊は目撃され続けていて、今でもボーリー牧師館の跡地は心霊スポットとして有名みたいだよ。
典型的な「建てたらいけない所に家を建てちゃった」って感じね。
まとめ
以上が世界トップクラスの幽霊目撃証言がある「ボーリー牧師館」でした。
どうだった?
どうだった?
んー。焼け落ちちゃったのが残念ね。
ここまで頻繁に怪奇現象が起こるなら私も一回訪れてみたかったわ。
話を聞いている限り、実害は無いっぽいし
ここまで頻繁に怪奇現象が起こるなら私も一回訪れてみたかったわ。
話を聞いている限り、実害は無いっぽいし
そだね。
幽霊の目撃証言は多いものの、その幽霊に危害を加えられたって人はいないみたいだから、ただそこに居ただけなのかもしれないけどね。
幽霊の目撃証言は多いものの、その幽霊に危害を加えられたって人はいないみたいだから、ただそこに居ただけなのかもしれないけどね。
もしくは自分たちの事を知ってもらおうと頑張っていたのかしら。
あ、ちなみに真偽のほどは謎だけど、プライスの調査隊が地下から女性の頭蓋骨を発掘した事もあるらしいよ。
見つけてもらってるなら、もう成仏しなさいよ……。
それもイギリスで超有名な「ボーリー牧師館」について紹介していきたいと思いまっす!