呪われた潜水艦?
うん。
正式名称は「伊号第三十三潜水艦」っていう大日本帝国時代に作られた潜水艦なんだけど……。
正式名称は「伊号第三十三潜水艦」っていう大日本帝国時代に作られた潜水艦なんだけど……。
けど?
この伊33は呪われているんじゃないかっていうほど不幸が続き、沢山の人たちが不遇の死を遂げているんだ……。
あー……。
確かに軍隊とか戦艦ってそういう話多いわよね……。
確かに軍隊とか戦艦ってそういう話多いわよね……。
しかも全て「3」にまつわる事故ばかりなんだよ。
どういう事?
詳しくは今から紹介していくけど、33mの海底に沈没したり33名の死者がでたり……。
え……。
それじゃさっそく紹介していきまっす!
大日本帝国が建造した潜水艦「伊号第三十三潜水艦」
それじゃ改めて今回紹介するのは大日本帝国時代に作られた潜水艦「伊号第三十三潜水艦(以下:伊33)」について。
まずは簡単に伊33の経歴から紹介していくね。
まずは簡単に伊33の経歴から紹介していくね。
まず、この伊33は1940年に三菱重工によって建造が開始され、翌年の1942年の6月に完成した一等潜水艦です。
その一等潜水艦ってのはどういう意味?
ああ、一等潜水艦っていうのは1,000トンを超える大型潜水艦の事で、簡単にいうと潜水艦の中でもかなり大規模な潜水艦ってことだね。
ふーん。
で、その伊33は完成後、わずか2カ月後の1942年8月には第二次ソロモン海戦に参加してトラック環礁へ出向くんだ。
え、完成してから2か月で戦闘に参加って早くない?
そういうもんなの?
そういうもんなの?
いや、戦時中だったせいで大分無理をしていたみたいだよ。
そのせいもあって3か月後の9月に伊33はサンゴ礁に衝突してしまい、艦首や魚雷発射管を損傷してしまうんだ。
そのせいもあって3か月後の9月に伊33はサンゴ礁に衝突してしまい、艦首や魚雷発射管を損傷してしまうんだ。
あらら。
で、当然修理が行われるわけだけど、ここから伊33の不幸と呪われた歴史が始まるんだ
水深33メートルに沈没。33名が死亡。
9月に沈没した伊33の修理に当たっていたのは浦上丸という特設工作船なんだけど、修理している最中に事故が発生。
なんと伊33がバランスを崩し艦尾側が海に沈んでしまったんだ。
なんと伊33がバランスを崩し艦尾側が海に沈んでしまったんだ。
あらら。
しかも偶然たまたま艦尾側のハッチが開いていて、そこから海水が流れ込み伊33は水深33メートルの海底に沈没してしまう。
あ、これが最初に言ってた3にまつわる事故ってヤツ?
そう。
さらに艦内には作業を行っていた作業員達がいたんだけど殆どの作業員達が脱出できなくなり、結果的に33名の命が失われてしまうんだ……。
さらに艦内には作業を行っていた作業員達がいたんだけど殆どの作業員達が脱出できなくなり、結果的に33名の命が失われてしまうんだ……。
げ……。
そして3か月後の12月に救難船によって再沈没した伊33の引き揚げ作業が行われるんだけど、海中から引き揚げて排水している時に艦橋のハッチが破損。
再び伊33は海底に沈没してしまうんだ。
再び伊33は海底に沈没してしまうんだ。
ええぇ~……。
その後、懸命な引き揚げ作業が行われて、なんとか引き上げが完了。
そして1年間の復旧作業を受け翌年の1943年の6月1日に改装が完了して第六艦隊第11潜水戦隊に復帰となる。
そして1年間の復旧作業を受け翌年の1943年の6月1日に改装が完了して第六艦隊第11潜水戦隊に復帰となる。
ふんふん。
そして最初の事故は訓練不足が引き起こした事もあったという事で今度は領土内で訓練が行われていたんだけど……。
そこでまた大規模な不幸に見舞われるんだ……。
え……。
1944年6月13日に再び沈没。死者102名
1943年の6月1日に復帰してから12日後の6月13日。
伊33は愛媛県と本州の間にある瀬戸内海の伊予灘(いよなだ)で急速潜航訓練を行っていたんだ。
伊33は愛媛県と本州の間にある瀬戸内海の伊予灘(いよなだ)で急速潜航訓練を行っていたんだ。
ふんふん。
ただ、その訓練中に潜航する時には閉じているはずのディーゼル機関吸気用弁が閉じないという事故が発生するんだ……。
え……。なんで?
なんでも偶然たまたま幅5㎝、長さ3mの角材が挟まってたんだって……。
そんな偶然ってある……?
そしてその結果、海水が機関室に浸水して伊33は操作不能に。
乗組員を全員載せたまま海底60メートルに沈没してしまうんだ……。
乗組員を全員載せたまま海底60メートルに沈没してしまうんだ……。
え……。修理が完了して2週間でまた沈没……?
そう……。
そして艦内に取り残された乗組員たちはイチかバチかでハッチをあけて脱出を試みたりするんだけど助かった乗組員は僅か3名……。
他の乗組員達は溺死したり窒息死してしまい、最終的には艦長の和田睦雄少佐を含めた乗員102名の死亡が確認されたんだ……。
そして艦内に取り残された乗組員たちはイチかバチかでハッチをあけて脱出を試みたりするんだけど助かった乗組員は僅か3名……。
他の乗組員達は溺死したり窒息死してしまい、最終的には艦長の和田睦雄少佐を含めた乗員102名の死亡が確認されたんだ……。
ものすごい大事故ね……。
そうだね。
あとマキエはまだ気づいてないと思うけど、実は102人っていう数字も3の倍数なんだよね……。
あとマキエはまだ気づいてないと思うけど、実は102人っていう数字も3の倍数なんだよね……。
げっ……。
終戦後に引き上げられた後にも再び3名が死亡……。
そして1944年に沈没した伊33が再び引き上げられたのは終戦後。
沈没してから数えると9年目にあたる1953年に引き上げが行われました。
沈没してから数えると9年目にあたる1953年に引き上げが行われました。
また3の倍数が……。
嫌な予感……。
嫌な予感……。
実は今回もまた3人の命が失われてしまうんだよね……。
ええぇ……。
今回の引き上げは戦争で資材不足に陥った日本が鉄スクラップを回収する事が主な目的だったんだけど、解体作業中に3名の作業員の命が失われてしまうんだ……。
今回は何があったの?
前部の魚雷発射室は密封空間で浸水していなかったんだけど、その代わりにガスが充満していて急性のガス中毒で死亡するという事故が起こったんだよ……。
ちなみに魚雷発射室以外にも浸水していない部屋はいくつかあったみたいなんだけど、そこにいた乗組員達の遺体は密封状態だった事もあって9年前と同じ姿をしていたそうだよ。
……なんとも言い難いわね。
まとめ
以上が呪われた潜水艦「伊号第三十三潜水艦」についてでした。
とりあえず今回紹介した内容で3にまつわる部分をまとめるとこんな感じ。
とりあえず今回紹介した内容で3にまつわる部分をまとめるとこんな感じ。
・伊号第三十三潜水艦
・三菱重工業神戸造船所で製造。
・完成から3カ月後の1942年9月26日に33mの海底に沈没し33名が死亡。
・3カ月後に引き上げを実施するが再び沈没し救助難航。
・1944(3の倍数)年6月13日に再び海底60m(3の倍数)に沈没し102名(3の倍数)死亡。
・9年後の1953年に引き上げが行われ解体中にガス中毒で3名死亡。
・三菱重工業神戸造船所で製造。
・完成から3カ月後の1942年9月26日に33mの海底に沈没し33名が死亡。
・3カ月後に引き上げを実施するが再び沈没し救助難航。
・1944(3の倍数)年6月13日に再び海底60m(3の倍数)に沈没し102名(3の倍数)死亡。
・9年後の1953年に引き上げが行われ解体中にガス中毒で3名死亡。
こんな偶然ってある……?
もう偶然というか本当に呪いの域だよね……。
ちなみにこの事が原因で日本海軍では「3」や「33」という数字は不吉な数字って言われていたみたいだね……。
ちなみにこの事が原因で日本海軍では「3」や「33」という数字は不吉な数字って言われていたみたいだね……。
ああ、船乗りってゲンを担ぐって言うもんね。
まぁ船乗りじゃなくても3という数字は避けたくなるぐらいの出来事だけどね……。
あと、最後になりましたがネタを提供していただいた鰯さん、ありがとうございました。
それも読者の鰯さんのリクエストにお応えして呪われた潜水艦で有名な「伊33」について紹介したいと思いまっす!